カセットテープのデジタル化 —三國連太郎『歎異抄』朗読—

家に三國連太郎さんの朗読による『歎異抄』の古いカセットテープがあったのですが、これはテープが切れて聞けなくなっていました。まずは、同じものがデジタルデータ化されてないか探したのですが、どうもこの音源はCDなどでは販売されてないようです。私はカセットテープの修理などしたことがないのですが、幸いに切れたのがテープのはじめの部分だけだったので、付け焼き刃でその部分を糊で貼って、PCに読み込みました。音声はかなり劣悪ですが、デジタル化して聞き直すだけの価値のある、心に沁みる朗読です。YOUTUBEにアップしておきましたので、よければお聞きください。音が悪いのでお聞き苦しいかもしれません… 再生時にはPCの音量にご注意ください。

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悪人正機の喩え話

悪人正機説とは『歎異抄』第三章に見られる「善人なおもて往生をとく、いわんや悪人をや」という有名な一節に代表される教説です。「善人ですら往生できるのだから、悪人は往生できないはずがない」という、一般的に考えられる論理とは反対の内容を持ち、はじめてこの文章に触れる人に強烈なインパクトを与えます。

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自分の考えとは何か

歎異抄という浄土真宗の思想を代表する有名な書物に関して、この書物が親鸞自身の著作でないということは注意すべきである、という指摘はしばしば聞かれます。もちろん、これが親鸞の直接の語であることは疑いようもない事実ですが、その言葉は同時に、歎異抄の著者唯円というフィルターを通した言葉である、ということを忘れてはいけない、という指摘です。

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彼岸会法要にて

歎異鈔 (後序) に次のような有名な言葉がある。

聖人(親鸞)のつねの仰せには、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
と御述懐候ひし…

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