『阿弥陀経』のこころ —ダイナミックな説法—

光寿無量の救済

『阿弥陀経』は、舎利弗を対告衆として、釈尊が自ら進んで説かれた「無問自説経」として展開する。親鸞聖人は『教行信証』 (化身土巻) で、「観経に准知するに、この経にもまた顕彰隠密の義あるべし」として『阿弥陀経』の隠顕釈を展開されるが、この「無問自説経」ということが釈尊出世本懐をあらわすものとして注意されている。その説法の対象が智慧第一の舎利弗であることは注目されるべきであろう。舎利弗は、特に学問と徳行にすぐれた仏弟子である。その舎利弗に「念仏一つ」の教えを説いていく。教義や徳行を極めた彼にこそ強調されるべき教えが「念仏一つ」であったと読み取ることも出来る。『阿弥陀経』を丁寧に読み進めていくと、「舎利弗よ」という呼びかけが実に多く繰り返されていることに気づく。その呼びかけは、分別的思惟の中で常に教義を合理的に結着させようとする私たちの知性の持つ「危うさ」に、繰り返しはたらきかけているようにさえ感ずるのである。

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岩波仏教辞典初版「往生」の記述について

以前、ヤフオクで岩波仏教辞典の初版の電子辞書を手に入れて、第二版との違いについて記事にしたことがありました (岩波仏教辞典の初版と第二版の電子辞書についての覚書)。私はそこで、この辞書に関する初版と第二版の違いについて、以下のように書きました。

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「ひとえに他力」ということ

『歎異抄』第八章では念仏は「非行非善」であると定義され、「ひとえに他力」なものと説明されます。

念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々。

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悪人正機の喩え話

悪人正機説とは『歎異抄』第三章に見られる「善人なおもて往生をとく、いわんや悪人をや」という有名な一節に代表される教説です。「善人ですら往生できるのだから、悪人は往生できないはずがない」という、一般的に考えられる論理とは反対の内容を持ち、はじめてこの文章に触れる人に強烈なインパクトを与えます。

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自分の考えとは何か

歎異抄という浄土真宗の思想を代表する有名な書物に関して、この書物が親鸞自身の著作でないということは注意すべきである、という指摘はしばしば聞かれます。もちろん、これが親鸞の直接の語であることは疑いようもない事実ですが、その言葉は同時に、歎異抄の著者唯円というフィルターを通した言葉である、ということを忘れてはいけない、という指摘です。

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犯罪者や仏教を批判する人は念仏で救われるか?

浄土真宗では、一切の人々は念仏によって救われると教えられます。なぜならば、正依の経典である『大無量寿経』に説かれている本願は、罪が深く欲望の強い人たちをも含みすべて救済しようとする願いだから、とされます。そこで説かれる四十八願の中でも特に重要視されるのが第十八願で、それは次のようなものです。

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坊主と iPad (3)

今回は iPad で利用できる仏教関連の辞書について書いてみます。

App Store で「辞書」をキーワードに検索してみるとかなりの数ヒットしますが、仏教関連の辞書はまだほとんど見当たらないようです。一方で EPWING という昔からある辞書形式では、いくらか仏教用語に強い辞書があります。この EPWING 形式の辞書を iPad/iPhone で利用するには EBPocket を利用すればよいと思います。このアプリは複数の辞書をまとめて検索する「串刺し検索」や、他のアプリと連携して検索する機能も備えており、EPWING 辞書をたくさん持っているならば利用しない手はないと思います。

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