「日記」カテゴリーアーカイブ

「往生の語り〜『楞厳院二十五三昧会結衆過去帳』に見られる臨終と夢〜」

2019年6月10日 (月) に行われた真宗大谷派大阪教区の有志の会である難度会主催の臘扇忌法要では、大谷大学名誉教授のロバート F・ローズ先生をお招きして、「往生の語り〜『楞厳院二十五三昧江結衆過去帳』に見られる臨終と夢〜」と題された記念法話が行われました。

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仏典の植物をたずねて

仏典には実にさまざまな花々や植物が登場します。仏教のシンボルとも言える赤・黄・青・白の蓮花の花をはじめとして、お釈迦様がお生まれになったルンビニ園の無憂樹、お悟りを開かれた菩提樹、涅槃に入られた娑羅双樹など仏伝に登場する植物や、また、仏教の教理やその比喩でたびたび言及される優曇華や曼殊沙華、多羅樹や曼陀羅花など、さらには、薫香の植物としての旃檀や沈香、薬用の植物として芥子などもよく目にします。中には、おそらくは架空の植物と考えてよいのでしょうが、如意樹や空華なんていうものまで出てきます。実に仏典は、さまざまな花々や植物に彩られているのです。

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やあ、イケニエちゃん

スパムメールの対策はいたちごっこで、いくら処理しても処理しきれることはない。いったいどんな顔をした御仁がこんな煽情的な安文章を考えているのか。大酒飲みのぐうたらが朦朧とした頭で万に一つの望みにかけてニヤニヤしながらゴツゴツした指先でタイプしているのか、はたまた、人生に退屈しきったかのようなデカダン気取りが高尚な暇つぶしと信じきって興じているのか、あるいは、正真正銘の9歳の子供が覚えたてのパルプ・マガジンの受け売りとウイルスだらけの親父のPCのキーボードで暗澹とする小遣い稼ぎにカタカタやっているのか、まったく想像だにできない。普段は歯牙にもかけないのだけれども、さっき来たこのメールは面白かった。

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私における清沢満之師 —自由にして自在なる人—

2017年6月6日に行われた真宗大谷派大阪教区の有志の会である難度会主催の臘扇忌法要では、佛教大学非常勤講師の樋口章信先生をお招きして、「私における清沢満之師 —自由にして自在なる人—」と題された記念法話が行われました。

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「天命に安んじて人事を尽くす」—清沢満之の求道における根本問題としての自己と他者—

昨年 2016/06/03 に開催された大谷大学教授の加来雄之先生による、臘扇忌法要の記念講演の文字起こしを行いました。一昨年の大阪教区臘扇忌法要は、例年と異なって、愛知県の西方寺ご住職清沢聡之師をお招きし、臘扇忌主催の難度会メンバーとのシンポジウム形式で、それぞれの課題を共有するという形を取ったので、その年は講義録を作成しませんでした。ですので、こうしてご講師の先生の記念講義の文字起こしの作業をするのも、2014年の長谷正當先生のご講義(「本願の信と自信 —自己を証しすること—」) 以来 2 年ぶりということになります。

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黒ぶちメガネと偏頭痛とウディ・アレン

「黒ぶちメガネと偏頭痛とウディ・アレン」。なかなか、興味をそそれられるようなタイトルをつけてみたが、たぶん、あまり内容のあることは書けないと思う。しばらく日記を書いてなかったので書こうと思い立ったというだけで、この3つの言葉は、つながっているかもしれないし、まったく関係がないかもしれない。とにかく、最近の出来事としてこの3つのことについて。

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Hの思い出 (2)

私は結局、20代のほとんどを地元を離れ生活した。大学を休学して世界旅行に出かけたり、東京で好きになった女の子と一緒に生活してみたり、京都の大学近くで何度か居を移し研究に没頭する下宿生活を過ごしたり、ヨーロッパへ長期の留学をしたりと、実家のお寺へは主な行事の時に帰省するくらいで、割と好き放題にほとんどの時間を自分のその時々の環境の中で生活した。大学院の博士課程を終え、大学の研究機関へ少し務めた後、自分の進退についてあれこれ葛藤はあったが、父親が白内障を患い車の運転が出来なくなった時期を機に、30歳を超えてようやくお寺の嫡男として大阪の自坊へ帰ってきて、お寺の法務を始めるようになった。

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Hの思い出

Hは私の小学校時代の親友だった。

小学校3年生の時に同じクラスになり、そのまま小学校を卒業するまでほとんど何をするにも一緒だった。Hは、小柄で、やんちゃで、男気があって、ガキ大将で、あまり勉強は得意ではなく、お金持ちだった。ちょうど活発な「猿」のようによく動きまわり、クラスの目立つ存在だった。私はというと、どちらかと言うとおとなしい方で、わがままで神経質で繊細で、図工や音楽の時間が好きで、お寺の息子だった。対照的な性格だったと思うが、私たちはとても気があった。

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忘れ物顛末記、その後、少し

今年の年始、忘れ物顛末記 というエントリーを書きました。この出来事があったのが1月16日のこと。先ほど、スマホの写真を整理していたら、このエントリーを書いたちょうど一ヶ月後の2月16日の出来事を思い出しました。記すほどのことでもないかもしれませんが、なんとなく気にかかったのでここに残しておくことにします。

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