「往生の語り〜『楞厳院二十五三昧会結衆過去帳』に見られる臨終と夢〜」

2019年6月10日 (月) に行われた真宗大谷派大阪教区の有志の会である難度会主催の臘扇忌法要では、大谷大学名誉教授のロバート F・ローズ先生をお招きして、「往生の語り〜『楞厳院二十五三昧江結衆過去帳』に見られる臨終と夢〜」と題された記念法話が行われました。

rosenki_2019_02.jpg

前半では、「語り」(narrative) という概念について、ジェローム・ブルーナー (Jerome Bruner) の提唱した「物語様式」(narrative mode of thought) ということについてご紹介くださいました。ブルーナーは、人間の思考様式として、物語を通して人間の行為や生き方を語るという方法の重要性を指摘しました。この指摘を受け、多くの分野、とりわけ倫理学の分野で、あたらめて物語の重要性が再認識されてきたのですが、仏教学・真宗学の分野でも、やはりこの「ナラティブ」ということの重要性についてあらためて意識すべきであるということをご指摘くださいました。

後半では、具体的に『楞厳院二十五三昧会結衆過去帳』をテキストとして取り上げられ、そこに見られる「臨終と夢」の記述をご紹介くださいました。このテキストは源信僧都が中心的な役割を果たした念仏結社「二十五三昧会」の『過去帳』で、そこにはそのメンバーの伝記がいくつか記されています。それらの記述は、単に歴史上の人物の伝記にとどまらず、「往生の語り」として「いかに生きるべきか」という問いを私たちに具体的に投げかけてくれているという点に注目すべきであることをご指摘いただきました。

また、清沢満之の生涯や思想についてもわかりやすく概観してくださり、清沢先生の思想や生き様もまた、それを通じて私たち自身の生き方を考える機会を与えてくれるものとして、すなわち「物語」として見る視点も重要であるとご指南くださいました。一部、ローズ先生の講義の内容を引用してみます。

大切なことは、清沢満之の生き方というのは、私たちに感銘を与えるだけではないんですよね。清沢満之の生き方というのは、私たち自身が生きていく上で一つの模範を与えてくれているわけなんです。つまり、私たちが生きていく上で一つの鏡となっていく。「こういうように生きるべきなんだ」ということを身をもって教えてくれている。ですから、清沢満之の一生の物語、これを先輩方・先生方から聞いたり、あるいは本で読んだりする時には、その物語を通して「どのように生きるべきなのか」「何を大切にして生きるべきなのか」といったことを教えられるのだと思うんですね。

臘扇忌法要の記念法話は、毎年文字起こしを行って、次の年の法要時に記念品としてお配りしています。毎年印刷業者に製本を依頼して、余った分は難波別院や難度会を通して販売しています (一部200円)。収益は法要主催の難度会の運営費に充てられています。

本年、令和二年の臘扇忌法要は9月7日 (月) に羽田信生先生 (毎田仏教センター所長) をお迎えして行われます。羽田先生は2013年の 第112回臘扇忌法要 に「十二月の扇 (臘扇) –—無用なる我の発見—–」としてお話くださいましたが、今回7年ぶりに再びお願いする運びとなりました。

講師 : 羽田信生先生 (毎田仏教センター所長)
場所 : 難波別院同朋会館
日時 : 2020年9月7日 (月) 18時より

参加費1,000円で、記念品として昨年のローズ先生の講義録も含まれます。余った分は一部200円で販売する予定です。安価で内容もかなり濃いものですので、なるべくご購入いただきたのですが、法話を聞き逃した方は、講義録のドラフトを以下に PDF で公開しますので、ご興味ある方はご自由にダウンロードください。

昨年同様、記念品として清沢満之先生のオリジナルクリアファイルも作成予定です。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください