今年の年始、忘れ物顛末記 というエントリーを書きました。この出来事があったのが1月16日のこと。先ほど、スマホの写真を整理していたら、このエントリーを書いたちょうど一ヶ月後の2月16日の出来事を思い出しました。記すほどのことでもないかもしれませんが、なんとなく気にかかったのでここに残しておくことにします。
1月16日は大阪の僧侶仲間と行っている月一の勉強会の日で、その後の宴会の帰りに無くし物をしたのでした。酒に酔った私は、難波駅の近くでお気に入りのヘッドフォンとレコードを失くしてしまったのでした。
さて、そのこともなんとか納得して、忘れかけていたひと月後の2月16日、同じ勉強会があり、やっぱりその後に宴会があり、私は懲りもせず酒に酔っていました。難波別院のある本町近くの、最近お気に入りの野菜メニューの多いお店でした。本町で宴会がある時はいつも、私は酔い覚ましと運動とを兼ねて、この本町から大阪難波まで、御堂筋通りを20分ほど歩くことにしています。この日も宴会が終わり、皆んなに別れを告げて難波へ向けて歩き始めました。すると、メンバーの一人のSくんが別れ際、声をかけてくれました。
「今日は忘れもんしたらアカンで」。
彼は私のこのブログを見てくれていて ——この時の私はほとんど忘れていたのですが—— ひと月前の私のうっかりを知っていたのでした。「そうだ、そうだ」。彼の言葉によって、少しの沈黙の後、私はひと月前の難波での失態を思い出したのでした。
「大丈夫」。
私はそう返事をして、歩き始めました。心のなかでは、「気をつけよう」と思いながら。
難波駅に着いた私は、その日も駅構内に降りる前に、ベンチで一休みしました。ひと月前に無くし物をした同じ場所です。私の頭には、まだ十分のお酒が残っていました。念のため、あたりを見渡してみましたが、やっぱりひと月前にそこで無くしたものは、ありません。当然です。でも、一応探しました。とても執着心の強い私の性格に、自分でも嫌になります。おもむろにベンチから立ち上がり、駅構内に向かいました。再び忘れ物をして無いか、十分に確かめてから。
電車が到着して、乗り際に、入れ替わりで降車するパーティードレスで着飾った女性とすれ違いました。同じく着飾った友達と楽しそうに話しながら。いや、正確にはこの瞬間、彼女たちにはそれほど注意していなかったのですが、この数分後、このことを思い返して、「ああ、確か、そういう女性とすれ違ったな」と思い出していたのでした。それは、下に書くような理由のためです。
私は一番後ろの車両の、一番端の席に座りました。深夜近くの平日の、最終電車ではない車内は、比較的空いていました。私の前に男性が一人、私の座った長椅子のもう片一方の端の席に女性、その女性の前にもう一人女性が座っていました。私を含め4名が、ちょうど座席の長椅子の四隅の席に座っている形です。
電車がゆっくりと難波駅を発車しました。酔いの回っている私は、私の視界にいる3名をそれとなしに眺めていました。2名はスマートフォンで何やら夢中になってます。1人は本を読んでいます。「いや、今日も楽しい会だったなぁ」。たぶん、そんなことを考えていたんだと思います。
すると、ふとどこかから、よい香りがしてきました。私のすぐ近くには人はいません。私はあたりをキョロキョロし、ふと、頭上の網棚を見上げました。そこには、香りの出元である色艶やかな花束がありました。私は再度、私の向かいに座っている男性を、今度は注意深く、観察しました。相変わらずスマートフォンに夢中のその男性は、履きつぶされたスニーカーにチノパン、ダウンジャケット姿で、どう考えても花束とマッチしません。おそらく彼のものではないでしょう。私は、私の左隣の隅の女性を、あまり露骨にならないように、観察しました。20代前半くらいの若い彼女は、カジュアルな服装で、手早くスマホを操っています。おそらく彼女のものでもないことは容易に想像がつきました。そもそも、花束を一時的に置くには、私の真上の網棚は少し離れています。
私は念のため、私の対角線上に座っている女性も見てみました。生真面目そうなスーツ姿のメガネの彼女は、きっちりとした姿勢で本に夢中なように見えました。やはり、この花束は忘れ物のようです。この瞬間、私は難波駅で入れ違いで降車していった女性のことを思い出したのでした。「そういえば、パーティー帰りのような女性とすれ違ったな」と。
電車は次の駅に到着し、幾人かの乗客が乗り込んで、空いている席に座って行きました。次の駅、次の駅、と進むうちに座席は乗客で埋まっていきました。私は、頭上の花束のことはしばらく忘れて、宴会の間に入っていたメールやラインの確認をしていました。やがて、私の対面の男性も降車しました。もちろん、花束を持たずに。その席へはすぐに別の男性が座りました。
私の降りる駅が近づくにつれ、私は再度、頭上の花束のことを思い出しました。
「そういえば、自分が忘れ物をしたのは、ちょうどひと月前のことだったな。この花束を忘れた人も、きっと悔しい思いをしているに違いない。かわいそうに。いや、待てよ。もしかしたら、こう考えられるかもしれない…」
繰り返しますが、私はこの日この瞬間、かなりお酒が入っていました。
「…私がひと月前に無くしたものの代りに、この花束が私に贈られたのかもしれない。いや、そうに違いない。でないと、あの日からちょうどひと月経った同じ勉強会の後のこのタイミングに、難波駅という同じ場所で、私の頭上に花束が置かれているはずがないじゃないか。なかなか、粋なはからいだ。でも、待てよ。私が無くしたものはわりと高価なものだった。少なくともこの花束よりは。この花束を受け取ってしまうと、隨分と損をしたことになるじゃないか。運命の神様も隨分と意地悪な選択を迫るじゃないか…」
私は、確かに、そんなことを考えていました。
やがて、電車のアナウンスは私の降りるべき駅を告げました。
「次は〇〇、〇〇でございます。車内に『お忘れ物』のないようにお降り下さい」。
電車がホームへ向けゆっくりとスピードを落としていくと、履きつぶしたマウンテンブーツにチノパン、カジュアルジャケットをまとった私は、まったくの自然な態度で、さも丁寧に網棚から花束をおろし、両手に抱え込みました。やがて、電車は静かにホームに停車し、扉が空気を開放する「プシュー」という音とともに開かれ、私は電車を降りました。駅構内から続く長い階段を下りながら、いまや私のすぐ鼻先にある花々は、よりいっそうの甘い芳香を私に届けてくれました。
「ひと月前のあの日は、本当に悪いことをしたね。君の大事なものを他の人にあげてしまって。さぞ、悔しい思いをしたことだろうと思うよ。これはほんの些細なお詫びの気持ちだよ。君がこれで少しは機嫌を直してくれたらいいんだけど…」
私は、そんな心の声を聞いたような気になっていました。
「いや、そんな気を遣ってもらわなくても良かったのに。実際、花束なんて、粋なプレゼントをありがとう。僕はもう、ひと月前のことなんか、忘れかけていたのに」。
2月のまだ寒い時期のことでした。実際には私のために贈られたのではない花束を、あたかも自分のために用意されたものであるかのような顔をして、カジュアルなリュックを背負った私は、スマホ片手にフォーマルな花束を脇に抱え、千鳥足で帰路の夜道を歩きました。帰るなり、ほとんどすぐにベッドに向かった私は、朝起きるとそこにあった花束を発見し昨晩のことを思い出し、「悪いことしたかな」という多少の後悔はありつつも、華甁に移し、しばらくの間、部屋に飾っていたのでした。
そのときの写真が以下のもの。さっき写真整理の際に見つけて、久しぶりに思い出し、このブログに書いておこうと思ったのでした。多少の罪滅ぼしの気持ちもあるんです、実際…