岩波仏教辞典の初版と第二版の電子辞書についての覚書

ヤフオクで岩波仏教辞典の電子ブック版が出ていたので購入してみました。今CD-ROM版として手に入るものは 岩波 仏教辞典第二版 の電子データです。もちろん第二版は初版をもとにしているので、第二版のCD-ROMのデータがあれば初版のものは必要ないのですが、どの程度の記述の違いがあるのか少し興味があったので購入してみました。

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1995年の電子ブック版のメニューは次のようになっています。

電子ブック版 岩波仏教辞典
編者: 中村 元, 福永光司, 田村芳朗, 今野 達
発行者: 安江良介
発行: (株)岩波書店 ©1995 年

一方で、2004年の第二版は次のようになっています。

『岩波仏教辞典第二版CD-ROM版』
編 集: 中村 元・福永光司・田村芳朗・今野 達・末木文美士
発行者: 山口昭男
発行所: 株式会社岩波書 
(C)2004 Iwanami Dictionary of Buddhism Second Edition CD-ROM

編集に末木文美士先生の名前が加わっています。第二版の「第二版刊行にあたって」という文章も末木先生の文です。その一部は以下の様にあります。

初版以後の関係諸学の進展は著しく、とりわけ学際的な協力によって明らかになってきたところは少なくない。それを辞典に反映させることは不可欠のことである。そこで、斎藤明(インド仏教)、菅野博史(中国仏教)、石井公成(韓国朝鮮仏教)、松尾剛次(日本史)、小峯和明(文学)、山本勉(美術)、藤井恵介(建築)というそれぞれの分野の第一人者の方々に編集協力者となっていただき、既存の全項目を慎重に見直し、近年の研究状況に照らして相当数の項目に加筆修正を加えることとなった。それとともに、600近い新項目を追加して、面目を一新することができた。(岩波仏教辞典第二版, 「第二版刊行」にあたってより一部抜粋)

この文章によれば、初版から600ほどの新しい項目が加わり、第二版刊行当時 (2002年) の最新の研究状況が盛り込まれて、既存の項目に加筆修正が加わったものが第二版であることがわかります。

実際に以下に覚書として、いくつかの項目を見てみたいと思います。

「勝義」の意味について見てみました。

初版:

勝義 しょうぎ [s:paramārtha] 最高の真実. 原義は〈最高の意義〉の意. 同義語として〈真如〉〈実相〉などがある. 『中論』(24-8)に「諸仏の説法は二諦に依る」と説かれるように, 大乗仏教では, 〈勝義〉と〈世俗〉の二つの真実(二諦)があると説く. 〈世俗〉は常識的真実, 〈勝義〉は超世間的な真実で無分別知の対象である. 『中論』にもとづくインドの中観派や中国の三論宗では, 一切は勝義においては空であり, 不生であると説いた.

第二版:

勝義 しょうぎ[s:paramārtha]最高の真実. 原義は,最高の意義の意. <第一義>ともいう. 同義語として<真如 (しんにょ) ><実相 (じっそう) >などがある. 『中論』24−8に「諸仏の説法は二諦に依る」と説かれるように, 大乗仏教では, <勝義>と<世俗>の二つの真実(二諦)があると説く. <世俗>は常識的真実, <勝義>は超世間的な真実で無分別知の対象である. 『中論』にもとづくインドの中観派や中国の三論宗では, 一切は勝義においては空 (くう) であり,不生 (ふしょう) であると説いた.

ほぼそのまま初版の文章を踏襲しているようです。第二版ではふりがながより多くふられているんですね。

もう一つくらいみておきます。次は「説一切有部」を見てみましょう。

初版:

説一切有部 せついっさいうぶ [s:Sarvāstivādin] 〈有部〉と略称され, また〈説因部〉(Hetuvādin)ともいう. 部派仏教の中で最も優勢であった部派. 紀元前1世紀半ばごろ, 上座部(じようざぶ)から派生したと考えられる. 迦多衍尼子(かたえんにし)(Kātyāyanīputra)が『発智論』を著して教学を大成した. 『婆沙論(ばしやろん)』は, その詳細な註解書. 三世実有(さんぜじつう)・法体恒有(ほつたいごうう)を主張し, 主観的な我(人我(にんが))は空(くう)であるが客体的な事物の類型(法)は三世にわたって実在する(我空法有,人空法有)とした. 人間については, 五蘊(ごうん)が瞬間瞬間に変化しながら持続するという五蘊相続説を唱えた. その結果, 現在有体(げんざいうたい)・過未無体を主張する大衆部(だいしゆぶ)あるいは経量部と対立し, また西暦紀元前後に興った大乗仏教も空の論理を展開して有部の説を批判するにいたったが, 有部は依然として大きな勢力を保った.

第二版:

説一切有部 せついっさいうぶ[s:Sarvāstivādin] <有部>と略称され, また<説因部>(Hetuvādin)ともいう. 部派仏教の中で最も優勢であった部派. 紀元前1世紀半ばごろ, 上座部(じょうざぶ)から派生したと考えられる. 迦多衍尼子(かたえんにし)(Kātyāyanīputra)が『発智論』を著して教学を大成した. 『 大毘 婆沙論( だいび ばしゃろん)』は, その詳細な注解書. 三世実有(さんぜじつう)・法体恒有(ほったいごうう)を主張し, 主観的な我(人我(にんが))は空(くう)であるが客体的な事物の類型(法)は三世にわたって実在する(我空法有,人空法有)とした. この部派の正統説と目されるヴァスミトラ(世友(せゆう))の説明によれば, 三世にわたって実在するこれらの法は, 恒常な本質(svabhāva,自性(じしょう))を保ちながらも, 作用が未だはたらかない, 現にはたらいている, すでにはたらきを終えた, という作用の三つのあり方によって未来・現在・過去の法として区分される. 人間については, 五蘊(ごうん)が瞬間瞬間に変化しながら持続するという五蘊相続説を唱えた. その結果, 現在有体(げんざいうたい)・過未無体(かみむたい)を主張する大衆部(だいしゅぶ)あるいは経量部(きょうりょうぶ)と対立し, また西暦紀元前後に興った大乗仏教も空の論理を展開して有部の説を批判するにいたったが, 有部は依然として大きな勢力を保った. この『大毘婆沙論』の教理を,世親(せしん)が, 経量部の立場から批判を織り交ぜながらまとめた論書が『倶舎論(くしゃろん)』である. 衆賢(しゅげん)(Saṅghabhadra)はまた『倶舎論』を批判し, 有部の正統説を明らかにするため『順正(じゅんしょう)理論』を著した.

ヴァスミトラの説や、『倶舍論』の説明、サンガバドラの『順正理論』の記述など、この項目には少し加筆があります。

当然、詳しく見ていけば違いはここに書ききれませんが、概ね初版のデータを元に (修正ではなく) 加筆されているので、第二版のデータがあればこの初版の電子ブック版は必要ないでしょう。初版データとの比較で有益なことといえば、これらの微妙な違いから、2002年段階でどの箇所を改めて加筆すべきであったかが見れることでしょうか。加筆すべきであったということは、すなわちそこが重要な事実であるということですから、それが確認できることはひとつの利点といえるかもしれません。まあしかし、そこまで厳密に辞書を見ることは、ほとんどのケースで必要ないでしょうが…

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