私はお寺に務めているが、もともと超常的な現象については懐疑的で、お化けや幽霊、UFOなんかにはあまり関心がない。また、運命や赤い糸といった考えも信じたことがない。無論、そういった現象に出くわしたこともない。しかし今日、どうも少し腑に落ちないような不思議な体験をしたのでここに残しておこうと思う。
話は遡って、もう10年以上前。私はちょうど大学の一年目を終えて、春休み、バックパックを背負って海外へ一人、旅発とうとしていた。予定は2ヶ月間、ネパールのカトマンズから入り、インド・東南アジアへと進む予定だった。父親は旅行に最後まで反対し、母親は大いに心配していた。出発前、母親は小さな人形を手渡した。
「お守りよ、持って行きなさい。」
ちょうど胸ポケットに収まるくらいの布でできた外国の女の子の人形で、小さなラベルで「kumo」と書いていた。なるほど彼女の綿でできた金の髪の毛は、雲のようにふわふわしている。どうやらこの人形の名前らしい。「なんでこんなものを…」と口から出かけたが、グッと抑えてポケットにしまいこんだ。母親の心配はこうした人形を買ってしまうほどに行き場を模索していたことが分かったからだ。
さて、2ヶ月の旅行であるが、結果的にとても充実したものだった。しかし、その話は今の本筋とは関係ないので割愛する。とにかく私はその人形を胸ポケットに入れて旅行を楽しみ、途中その人形のことなどほとんど忘れてしまっていたが、不思議となくなることなく、結局帰国する最後まで私のデニムシャツの胸ポケットに収まっていた。
私にとって10代最後の年のその旅行はとても充実したものであったので、そのお供をしてくれた人形に愛着が湧いたのは自然なことだった。特に大事にしていたというわけではないが、なんとなく机の引き出しにいつもしまっておいて、引越しや部屋の整理の度に捨てるかどうしようか迷い、結局しまっておく、ということを何度も繰り返した。その後、京都の大学を卒業して大学院に進み、途中ヨーロッパに留学したり、大学でポスドク生活を送りと、結局今に至るまで10年以上捨てられずにいた。
その後僧籍を取得して、現在の大阪の実家 (浄土真宗の寺院) に戻ってきたのだが、その時も相変わらず私と一緒に帰郷してきた。年甲斐もなく恥ずかしいと思いつつもどうしても捨てられない。ところが、実はここ一週間の間、この人形が見当たらなくなったのである。
大正年間に建てられた寺の庫裏 (寺に住む家族の居間) の改修工事がこの 4月から始まる、ということで、先月3月の間中我々家族はバタバタと荷物移動を行なっていた。そうこう整理をしているうちにどこかに行ってしまったんだと思う。インドにまで行って無くならなかったものが、こうして簡単に見つからなくなった。一応思い当たるところはすべて探してみたが、一向に見つからない。その内出てくるだろうとは考えていたが、この一週間ほどどうも気になっていた。
さて、今日、法務 (お寺の仕事) が早めに終わり、夕方に教学の勉強会があるが、それまでの時間ジムで汗を流そうと出かけて行った。家から車で15分ほどの住宅街にあるフィットネスクラブで、運動不足解消のため通い始めて一年ほどになる。休日のお昼なので比較的混雑していたが、ひとりいつもは見慣れないスラっとした背の高い外国人の女性がいた。地元であまり外国の方を見かける機会がないので、珍しいなあと思いながらも、ひと通りいつものトレーニングを進めていた。するとちょうどベンチで休憩している際にたまたま彼女が横になったのだった。私は思い切って話しかけてみた。
「お近くにお住まいですか?」
私の方を振り向き、彼女は笑顔で、しかし少しおどおどしたような目で、
「あ、はい… 近くです… あ、ごめんなさい。実はまだ日本語があまり上手ではないです…」
我々はその後すこしだけ英語で会話した。彼女はイタリア出身で、英語教師として大阪に赴任し、近くに友人とアパートをシェアしているとのことであった。まだ日本に来て間もなく慣れないことが多い、とのことであった。私は思い切ってこのあと場所を変えてコーヒーでも飲みませんかと誘ってみた。しばらく振りに外国語を話す機会を得て私は少し興奮していた。彼女とは直感的に仲良くなれそうな気がした。もちろん彼女が美人である、ということも多分に影響して…
我々は近くのカフェのオープンテラスに移り会話を続けた。私は、旅行が好きでとくにインドに興味があること、大学で仏教を学んだこと、学生時代パリに留学していたこと、僧籍を取り今は僧侶として働いていることなど、簡単に自分のことを話した。彼女は私の出自に少なからず興味を示した。また、彼女もインドには興味があり旅行したこともあるという。我々ははじめ英語で会話していたが、彼女は途中からイタリア語で話し始めた。私はイタリア語は学生時代ほとんど趣味で学んでおり、ヨーロッパに留学していた際何度かネイティブと話す機会もあったので、今でもなんとか理解し話すことができる。しかし不思議なのは、彼女が会話の中で自然とイタリア語で話し始めた、ということだった。こういう場合は、普通なにかの確認があってもいいのにな、と頭の隅で感じたが、彼女のイタリア語へのシフトがあまりにも自然で、また、私も会話についていくことに必死であったので、そのことには触れることはなかったのだった。私はしばらくぶりに語学の記憶を引っ張りだして、普段は使用していない頭の部分が熱くなり活性化されるような爽快な感じを得た。我々はとても楽しく一時間ばかりを過ごした。
さて、ここからがお話ししたい内容なのだが、帰り際に彼女がバッグからおもむろに封筒を取り出し私に手渡したのである。
「そうそう、これをあなたに渡さなきゃいけないの。」
訝りながらも、受け取り、手に取った感じでは、中に手紙が数枚入っている様子だった。表にはいつ書いたのかは分からないが私の名前が書いてある。私はこの1時間あまりで彼女との距離が縮まったと感じていたので、何かの勧誘かな、と一瞬少し嫌な感じを受けた。しかしその手渡された封筒からはそういった形式張った感じはなく、ごく個人的な友人同士の手紙、といった様相だった。裏を見るとさっき知ったばかりの彼女の名前が書いてある。「Cloudia」。
「これはなに?」
「なに、って… そうね、読めば分かるわ。」
繰り返すが、彼女と出会ったのはこの数時間前である。私は何か釈然としないまま、彼女と別れの挨拶を交わした。
「じゃあ、また会おうね。」
彼女は日本語で言った。
私は車で家路についた。帰路、私はまだクラウディアのことを考えていた。クラウディア。私は信号待ちでもう一度手渡された封筒の文字を何気なく見た。Cloudia… Cloudia… Cloud… 雲…
「え?!」まさか。私はふと浮かんだ馬鹿げた考えを振り払おうとした。「kumo」という名のあの無くした人形、インドのお供をしてくれた私のお守り… そう言えば彼女の髪の毛はまるで綿のような… 彼女はインド旅行をしたって… いやいやそんな馬鹿げた話なんか…
(閑話休題)
さて、私は今その手渡された手紙を読み終わり少し混乱した頭を整理するためこの文章を書いている。実際その手紙の内容はとても奇妙なものであった。そこに書いてある内容はまったくの事実であったけれど、しかし初対面の彼女が私のことをなぜそれほど知っているのか (いや、たとえ初対面でなくともそれほどまでに正確に私のことを何故理解できたのか)、私には皆目わからない。私は今手元にあるこの奇妙な手紙の全文をここで読み上げるべきであろうか?そこには多分に私自身の個人的なことが書かれていることも加わり、ここに至って私は躊躇している。ここまで書いてふと我に返ってしまったのであった…