阿弥陀仏立像

ご本尊

了願寺のご本尊である阿弥陀仏立像です。

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この阿弥陀仏立像には、明治二十四年付けで、当時宮内省に設置された臨時全国宝物取調局の調査による「鑑査状」が残されています。この時に行われた調査の結果、特に重要なものと認定され、この鑑査状が交付されました。鑑査状には皇室の菊文が表されています。

文化財に対してこうした鑑査状が送られるようになった経緯に少し触れておきます。明治維新による文明開化の中で、日本古来の伝統文化を軽視して、美術品や建造物等の文化遺産を破棄しようとする悪しき傾向が生まれてきました。そのような中、明治元年三月に布告された神仏分離令が直接的な原因となって、廃仏毀釈 (きしゃく) と旧物破壊の動きが強まり、古い寺院等に所蔵されている仏像や仏教関係の古文化財も多数廃棄され、散逸してしまいました。政府は明治四年五月、このような文化財の危機に直面して、太政官布告「古器旧物保存方」(こききゅうぶつほぞんかた) を発令して、古器旧物の目録および所蔵人の詳細なリストの作成と提出を命じ、資料保存の動きを見せました。

その後、明治二十一年、宮内省に臨時全国宝物取調局が設置され、本格的な全国の文化財調査が行われることになります。宮内省の図書頭九鬼隆一を取り調べ委員長とし、岡倉天心らを委員とするこの調査は、その後の指定と保護を視野に入れたものであり、大規模な調査のもと鑑査された物件のランク付けも行われました。

この調査は明治三十年まで続きましたが、同年十月に廃止され、その事務を博物館に引き継ぐことになります。この間、同取調局が鑑査を行なった物件は、古文書一万七千七百九点、絵画七万四千七百三一点、彫刻四万六千五百五〇点、美術工芸五万七千四百三六点、書跡一万八千六百六五点、計二一万五千九十一点の多数にのぼり、その結果、重要なものについては、先に触れたような鑑査状が所蔵者に交付されました。